薬害イレッサ訴訟 続き
薬害イレッサ訴訟の続きです。
海外ではこの抗がん剤治療の薬剤、イレッサについてどのような対処をしていたのでしょうか?
米国FDA、食品医薬品局は2005年にこのイレッサを新規の患者へ使用を禁止しました。
EUでも2005年には製薬会社が申請を取り下げました。
海外ではこのような動きがあったのにも関わらず日本では被害者が続いて出てしまったのです。
被告となった製薬会社と国の言い分はこうです。
「イレッサが実際に効いている患者がいる事実がある。これは効果があったことを示すことである。」
もちろん、原告側の主張とまったく違っています。
薬害エイズもそうですが、薬害肝炎、薬害イレッサとこうした事件は続いています。
いずれの事件も同じですが、厚労省、製薬会社、双方は被害があることを知っていながら、新薬を承認してしまいました。
そして、販売させ、被害を拡大し続けた責任があります。
このような事件が起きてしまうと、抗がん剤治療を受けることは、とても勇気が要ることに思えます。
現在、抗がん剤を製造している製薬会社は、日本には沢山あるでしょう。
日本は世界一、抗がん剤の種類が多い国だと誇れますが、こうした薬害問題も現実には起こっているのです。
製薬会社は常に研究と開発に力を入れていますので、毎年のように新薬が出てきます。
これはすばらしいことですが、こうした薬害被害の事実も後を絶たないのであれば、人間の命を救うための薬を開発したのにもかかわらず、結果、人間を殺してしまうことになり兼ねません。
薬害イレッサ訴訟
以前、抗がん剤治療に関してこんな事件がありました。
2002年、イレッサという抗がん剤には重い副作用があることをわかっていながら、国はこれを承認しました。
イレッサの販売を続けたことが、被害を拡大させてしまったのです。
副作用で苦しむ患者たち、またすでにこのイレッサの副作用で死亡した患者の遺族たちが、アストラゼネカという製薬会社と国を相手に損害賠償を求めていました。
これを「薬害イレッサ訴訟」と言います。
製薬会社である、大阪のアストラゼネカが販売していた抗がん剤、イレッサは、2002年に発売されました。
発売当時は、副作用が少なくて手軽に自宅で使える新薬と話題を呼びました。
これを待っていた患者さんたちもいたでしょう。
ですが、発売から、わずか2ヶ月後のことです。
イレッサによる抗がん剤治療をしていた26人が副作用と思われる間質性肺炎等を発症しました。
そして残念なことに、その中で13人が死亡してしまったのです。
その後も続けて、副作用を発症した人は急増しました。
2008年3月までには1916人が発症して、その中の734人が死亡したということです。
この抗がん剤、イレッサが厚労省から承認されたのは2002年7月です。
申請してから、なんと半年後に承認されたという、スピード承認でした。
原告弁護団によると、承認された時、製薬会社側は、動物実験によって重い副作用があることをすでに知っていたと言います。
実は海外、日本国内で人間も死亡した臨床ではない例もあったそうです。